んー、蓋し名言(笑)。

子持ちの釣り師はすべからく子供に釣りをさせるべし、ということではない。

親が子供の人生のレールを敷くべきではないということだ。

物騒な世の中だ。可愛い子に何でも無鉄砲に冒険をさせてはならぬ。

しかし、かといって、はじめから親が勝手に『こういう子供となるべき』ということを決めつけてはならないと言うことだ。

脳が柔らかいうちにと、特に勉学に関する習い事をさせる親がいるが、ガキおやじはそんな必要ないと思っている。

日本語も覚束ないや幼児の英会話や、未就学の子供に公文式とか。可愛そうである。

これらは、『同じ年格好の子供たちの間』では、アドバンテージになるかも知れないが、それだけだ。

その後の成長過程において、幼児教育の貯金でいい思いができるのはせいぜい中学3年までだ。

人生で大切なのは、計算能力や英単語ではない。

『喜び』『悲しみ』『痛み』『有り難み』等をどれだけ体験し、理解させることができるかが幼児教育においては重要だ。

どうして毎日ご飯が食えるのか、どうして他人を傷つけてはいけないのか、どうして毎日逮捕される人がいるのか、どうしてコンドームを使わなければいけないのか・・・。

こうした『人間力』の基礎を養成するのが幼児期である。

幼児期に親の愛情が足りなかった子は、他人を愛せなくなる。そして、自分の子供に愛情を注ぐことはできない。自分が受けた仕打ちをそのまま我が子にするようになる。

幼児期にストイックに育てられた子は、他人にストイックを押し付ける人間になってしまう。

幼児期に、毎日どうして美味しいご飯が食えるかを教わらなかった子は、生産者の有り難みがわからない。

幼児期に、身体的、精神的な『痛み』を体験しなかった子は、どこまでやったら相手が傷つくのかがわからない。

『人を傷つける』ということがどういうことなのかがわからない。俄かには信じ難いが、『人間は死んでも生き返る』と思っている中高生もいるそうだ。

こういうことは、学歴では、はかることはできない。

よその子が遊んでいる時に、一生懸命この子は勉強してたから、○○大学に入れたのだ!

とか自慢気に豪語している親がいたとしたら、それは子供が哀れである。

子供は遊んでナンボである。遊びの中で、友達と喧嘩して、怪我して、テストで悪い点取って怒られて、『次に同じ失敗をしないようにこうしよう』と、自発的に学んで行くのだ。

英単語をたくさん知っている子が優れているというのは、親のエゴだ。

野球でもサッカーでもピアノでも書道でも何でもいいけど、『親が強制する』ことなく、子供が自発的にやりたいと思うことをやらせればよい。

それが幼児英会話や公文式というのなら、それをやらせればよい。

親が勝手に『この子の将来のために○○をやらせる』なんてのはナンセンスだし、子供にしてみればいい迷惑だ。

ガキおやじの子供は今、娘は書道、息子は野球をやっている。しかし、ガキおやじも妻も、子供がやりたいことに対し、ヒアリングもサジェッションも一切していない。

どちらも勝手に『やりたいからやらせて』と言ってきた。

飽きればやめさせればよい。

しかし、娘の書道は4年続いている。息子の野球は始まったばかりだけど。

二人とも、勉強はやりたくないらしい。ま、俺が勉強全くしない子だったから、別に強制はしない。

大人になって、『あの時もっと勉強しておけば良かった』と、後悔すればいいのだ。

後悔するだけ立派だ。

俺なんか全然後悔してないし(笑)。

まぁ、あぁでもない、こうでもないと、子供の教育に走ったところで、トンビが鷹を産むことはないし、ウチの場合は父親が『磯野カツオ』だから、しゃあない(笑)。
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