2011.02.01 釣りの履歴書
ガキおやじ、小学2年で釣りデビューして、今年35年目になる。今年42歳になるのだが、生まれてこのかた、引っ越しを9回経験している。

従って、居住地毎に違った釣りをしてきた。

釣りをはじめた頃は、川崎市内の、多摩川の傍の団地に住んでいたため、デビュー戦は多摩川での鯉の吸い込み釣り。

思えばデビューしたての頃が一番派手な釣りしていたんだな(笑)。

小学校5年で横浜市戸塚区に引っ越し。

学校の目の前に矢部池なる池があり、毎日狂ったようにクチボソと鮒釣りに熱中。転校後、小学校卒業までの2年間で、クチボソ2000匹、マブナ100匹は釣った。

たまに(年に4~5回)父に海(城ヶ島や剱崎の地磯)に連れていってもらったが、我が家には車がなかったので、いつもバイク(スズキ・GSX250)の二人乗り。怖かったな。

チヌ、グレ以外は雑魚と言い放つ父の横で、ウミタナゴやアイナメを釣って喜んでいた。

本格的に海釣りを始めたのは中学に入ってから。

クラスの仲間と散々通ったのが、横浜市金沢区の幸浦テトラ。

当時は八景島なんてのはなかったし、福浦岸壁も工事中だった。

この幸浦二丁目のテトラでハマったのがメバル。リールもないのべ竿で、15cmほどの小さなメバルを3人で120匹釣ったこともあった。

この頃(1982~1983年頃)、大船にある通称鎌倉湖(正式名称三猿が池)でブラックバスが釣れるという情報を、戸塚駅近くの釣具屋で聞きつけ、『コネリー』とか言うプラグタイプのルアーを買って何度かチャレンジした。

しかし、釣れることはなかった。ガキおやじが初めてブラックバスを釣ったのは、中学2年の学校行事で、富士五湖のひとつ、西湖のほとりにあるキャンプ場・富士パラマウントパークでの2泊3日のキャンプの自由時間の時。

釣り好きのO先生(もうご存命ではないだろうな・・・)と、ミミズエサでのウキ釣りで2人で釣ったのが最初で最後。

晩飯のジンギスカンの鉄板の上にブラックバスを乗せ、クラスの顰蹙を買ったっけ?

ブラックバス不味い!!(-_-;)

高校時代は吹奏楽に明け暮れ、釣りする暇なかったのと、理由はわからないが、思春期の少年であったガキおやじ、『釣りが好き』と公言することが憚られた時期だった。

高校3年間で釣りは5回くらいしか行かなかったかも。

大学生になって、釣りに行きたい気持ちが大爆発。

ヤマハジョグという飛び道具を手に入れ、毎週江ノ島、鎌倉、逗子、葉山、横須賀の地磯巡り。また、逗子・小坪漁港、横須賀・長浦港にも通いつめた。

暇だけは死ぬほどあったヘタレ文学部生(笑)。

大学卒業後も釣りまくり。金がある程度自由だったので、道具も買いまくり。友人とSTART(核拡散防止協定)を締結するほどにまで軍拡を競った!

30歳で結婚。同時に怒濤の転勤生活のスタート。

岩手では真冬のヤリイカ釣りにハマり、夏はヤマメを追いかけた。

その後一旦川崎に戻るも、釣りを楽しむ暇もなく海外赴任。単身中国にわたりました。

さすがに中国で釣りする気にはならず、悶々とした日々を過ごします。

帰国後、初めての海ナシ県、栃木に赴任します。娘は5歳、息子は1歳になってました。

海ナシ県故、メインの戦場は釣り堀。娘も息子も釣りデビューは小山市の釣り堀でした。

で、昨年、地元神奈川へ戻り、子供たち念願の海釣りデビューを果たしました。

今ガキおやじは、子連れフィッシングが楽しい。子供は朝は起きねぇし、現場でも釣れないだとか腹減ったとか、ウンチだとかオシッコだとか、絡まっただとか針飲まれただとか、暑いとか寒いとか、ぶっ飛ばしたくなるほど手は掛かるけど楽しい。

どうせ娘なんかあと2年もすれば、オヤジと一緒に出掛けるのなんかイヤになっちまうだろうし、息子だって、本格的に野球始めたら釣りなんかやらなくなってしまうだろう。

それまでのわずかな時間、出来るだけ釣行は子供と一緒にしたいと思っている。
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