ボクが釣りを始めたのは1976年。小学校2年生の頃。当時住んでいた川崎市の団地のそばには多摩川が流れていました。

当時の川崎市は、全国にも悪名轟く公害都市。多摩川は『死の川』でした。当然、釣り等出来る環境ではなかったのですが、当時、子供の釣りブームが訪れました。ボクも道具を買いに、当時近所に開店した『キャスティング 川崎駅前店(現在は閉店)』へ行き、リール付210cmミニ投げ竿セットを980円で買い、投げ釣りデビューしました。

東京12チャンネル(現テレビ東京)で、『飛び出せ! つり仲間!』という、子供向け釣り番組をやっていました(元フォーリーブスの故・青山孝さんが司会をされていました)。この番組が子供釣りブームの火付け役になったのは間違いありません。東京12チャンネルでは、そのほかに大人向け釣り番組『われら釣り天狗』、また、釣り番組ではないけど、堺正章さんがナレーションを務める『マチャアキ海を行く』など、ボクの心をくすぐる番組が多数ありました。

またNHKでは、俳優の山内賢さんが司会を務める『釣り専科』という番組をやっていて、ボクはこれらの番組を欠かさずチェック、さらに子供向け釣りマガジン『月刊つりトップ』、小学館の入門シリーズ『海釣り入門』を読みあさり、独学に勤しんでいました。

さて、その死の川だった多摩川ですが、川岸のヘドロを掘ると、ゴカイが死ぬほど取れました。そのゴカイをつけて、多摩川に向かってキャストしてみると、鯉やらマルタなど、意外な大物が掛かったものです。

当時の多摩川で釣った魚はさすがに食えるシロモノではなく、キャッチ&リリースしていたのですが、いつか海で本格的に釣りがしたいと思っていました。

磯釣り好きの父に何度も海へ連れて行けと懇願しましたが、当時は『お前は足手まといになるだけだ』と言う理由で、連れて行ってもらえませんでした。しばらくは同じ団地の子供たちだけで多摩川での鯉釣り専門でした。

1980年、我が家が横浜市戸塚区に引っ越しました。転校先の小学校の目の前に『矢部池』という池がありました。ここは周囲を金網で張り巡らし、立ち入り禁止の消防水利用の池でした。

しかしこの池には、クチボソ、フナ、金魚、コイ、ドジョウ、ザリガニなど、悪ガキたちのターゲットの宝庫でした。

池に立ち入ると、学校でこっぴどく起こられるので、立ち入ることはせず、金網の網目から手をいれ、270cmの延べ竿にタナゴ針で、クチボソ釣りに明け暮れました。エサはそこらへんを掘って捕まえたミミズでした。

ある日置き竿のまま、友達とじゃれていると、竿が池の中に持っていかれてしまいました。コイが掛かったのです。

結局竿は回収することが出来ず、それ以来、矢部池で釣りをすることが出来なくなってしまいました。意気消沈し帰宅し、しばらくすると、父が360cmの投げ竿を買ってきてくれました。また、2000番のオリムピック製スピニングリールをお下がりとしてボクにくれたのです。

その後しばらくして、『荷物持ちくらいの役には立つだろ』と、父が初めて城ヶ島の磯釣りに連れて行ってくれました。バイクの後ろに乗って横浜から城ヶ島まで。怖いのをガマンし、必死に父の背中にしがみついていました。

城ヶ島京急ホテルの下の磯でその投げ竿を使ってウキ釣り。初めての磯釣りで釣り上げたのは、30cmオーバーのアイナメでした。小学校5年生の冬のことでした。

---(ガキおやじの釣り遍歴②へ続く)---
Secret

TrackBackURL
→http://yoemon.blog77.fc2.com/tb.php/2-edc4f97f