ガキおやじは、父の精子と母の卵子に組み込まれた遺伝子情報の都合上、産まれながらのG党である。

しかし、44年目の人生で、神奈川県民歴33年であり、横浜市民歴も23年を数える。

当然、ジャイアンツの次に好きなのはベイスターズだ。

ガキおやじが川崎市民だった昭和49年~昭和55年、ベイスターズの前身、大洋ホエールズが、川崎球場に本拠地を置いていた。

当時のホエールズにはスター選手がいっぱいいた。

平松政次、田代富雄、松原誠、福島久晃、斉藤明夫、中塚政幸、江尻亮、間柴茂有(しげくに)、ゲーリー、シピン・・・。

この面子で優勝出来なかったのが不思議なんだけど、大洋には良い選手が揃っていた。

ガキおやじが生まれて初めて観戦したプロ野球は、川崎球場の大洋-巨人戦。小学1年か2年か、そんな頃だった。

巨人加藤初、大洋間柴茂有の投げ合いだった。

巨人・末次利光と淡口憲治の2本のソロアーチが出たが、大洋・ゲーリーの3ラン、シピンの2ランホームランで巨人は負けてしまった。

でも、プロ野球の凄さを目の当たりにした、忘れ得ぬ一戦だった。

上がオレンジ、下が緑、左の二の腕には『○は』のマークをあしらった、クレイジーなユニフォームが好きになれず、大洋ホエールズファンになることはなかったが、その後横浜に本拠地を移し、『横浜大洋ホエールズ』になってからは、ユニフォームが俄然カッコよくなった。

白ベースに青いストライプ。胸には『YOKOHAMA』の文字。

このユニフォームがあまりにもガキおやじの嗜好と一致したため、ガキおやじが大学生の頃、オーケストラ部のメンバーを集めて結成した、軟式野球の学内リーグ登録チーム『駒澤チェリーボーイズ』のユニフォームにしたくらいだ(笑)。

父が生前勤めていた『東芝』の野球部で、当時全日本の4番を任されていた菊地恭二がドラフト一位で横浜大洋に入団したこともあり、一時期横浜大洋ファンになったこともあった。

しかし、鳴り物入りで横浜大洋に入団した菊地恭二はプロでは泣かず飛ばす、一軍で見ることはほとんどなかった。

当時の横浜大洋も精鋭揃いだったから、菊地の居場所はなかったんだな。

投手に遠藤一彦、野手には屋敷要、高木豊、高橋雅裕、故・加藤博一がいて、後の『スーパーカートリオ』と呼ばれる、出塁させたら手がつけられない1、2、3番を形成した。

グリーンアップには、助っ人のポンセ、パチョレック、アドゥチ、そして、ロッテオリオンズから移籍してきたレオン・リーがいた。

それでも優勝出来なかった。

監督が関根潤三でなかったら、絶対に優勝出来たのに(笑)。

その後、大洋漁業が身売りし、野球好きの横浜市長、故・高秀秀信が球団に肩入れし、『横浜ベイスターズ』になったんだよな。

1998年、大魔人・佐々木主浩を擁し、『マシンガン打線』と呼ばれた、石井琢郎、鈴木尚典、そして、球団史上最高の外国人助っ人、ローズが打ちまくり、ぶっちぎりで優勝したんだよなあ!

この年はさすがにガキおやじもベイスターズに心酔したわ!

あれから15年。

ガキおやじの大学の先輩である、中畑清が預かるDeNAベイスターズ。

交流戦もペナントレースも最下位のダメ球団だが、明日は思い切り応援するぞ!
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