小長谷宗一、保科洋と並び称される、ニッポン吹奏楽界の父、藤田玄播氏が亡くなった。御歳76。

藤田氏は敬虔なクリスチャン。代表曲は『天使ミカエルの嘆き』。全日本吹奏楽コンクールの自由曲として定番だ。

しかし、ガキおやじにとって、藤田玄播氏の代表曲は、1987年度全日本吹奏楽コンクール課題曲D『コンサートマーチ・テイクオフ』だ。

正確には、この曲は藤田氏の作品ではない。作曲者は、当時駒澤大学吹奏楽部の学生指揮者であった、建部知弘氏だ。

しかし、建部氏が作曲し、それを吹奏楽コンクール課題曲用に手直ししたのが藤田玄播氏だ。

だから、コンクール版の楽譜には、『建部知弘作曲/藤田玄播補作』と記載されていた。

この曲、ガキおやじが高校2年の時にコンクールで演奏したんだよね。前年散々な成績で、地区の大会で最低の成績だった我が母校、翌年、『コンサートマーチ・テイクオフ』を引っさげて、地区大会金賞を受賞し、神奈川県大会に進出した思い出の曲。

残念ながらこのときは、関東大会への推薦団体ノミネートの条件である『優秀賞』は取れなかったのだが、その翌年、ガキおやじが3年の時、創部初の県大会優秀賞を受賞(結局関東大会には進めなかったが)、その翌年には、初の神奈川代表として関東大会に出場すると言う、どん底から栄光への足がかりを作った3年間だった。

その大飛躍の第一歩が『コンサートマーチ・テイクオフ』だったと言うわけ。

関東吹奏楽連盟は、その団体数の多さから、現在は『東関東吹奏楽連盟』と、『西関東吹奏楽連盟』に分かれているが、我が母校は、今では東関東大会の常連としてその名を県内外に轟かせている。夢の普門館(東京都杉並区方南町にある、立正佼成会のコンサートホール。全日本吹奏楽コンクール・全国大会の会場)までもう一息と言ったところか。

ガキおやじたちの代は、結局県代表にもなれなかったのだが、ひとつ上の代とともに、現在の母校の大活躍の礎を築いた『中興の祖』としての自負を持っている。

そんな思い出の曲を補作した藤田玄播氏が逝ってしまった。日本吹奏楽界の大いなる損失であることは間違いない。

御冥福をお祈りいたします。
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